新国立競技場のコンペで日本でも有名になった「ザハ・ハディッド」。建築屋にとっては超有名人の彼女ですが、どんな建築家だったのか。
経歴
名前:ザハ・ハディッド/Zaha Hadid 1950/10/31~2016/3/31(満65歳没)
国籍:イギリス
出身:イラク・バグダッド
出身校:ベイルート・アメリカン大学/英国建築協会付属建築専門学校(AAスクール)
受賞歴:
2002年 大英帝国勲章 コマンダー
2004年 プリツカー賞
2009年 高松宮殿下記念世界文化賞
2010年 スターリング賞
2011年 スターリング賞
2012年 大英帝国勲章 デイム・コマンダー
2016年 RIBAゴールドメダル
非常に輝かしい受賞功績です。
建築家のダニエル・リベスキンドやフランク・ゲーリーなどが有名である「脱構築主義」(Deconstructivism、Deconstruction)と呼ばれる建築思想のカテゴリーに分類される建築家の1人であり、その中でも建築が実現しないことから「アンビルドの女王」という異名を持っていたことで非常に有名な建築家です。
建築のノーベル賞とも言われるプリツカー賞を2004年に受賞しています。
1950年にバグダッドで裕福な家庭に生まれた彼女は、ベイルートの大学で数学を学んだのち、1972年にイギリスへ。建築家になることが夢だったこともありAAスクールへ入学。ここで講師だったレム・コールハースに出会い、卒業後は彼の主宰する事務所であるOMA(Office for Metropolitan Architecture)に参加します。3年後の1980年には独立し、自分の事務所を構えます。
プロジェクト
香港ピークのコンペ 1982-83
ザハが世界的に有名になったのはこのコンペ(コンペティション/設計競技)によるところが非常に大きいです。このコンペはヴィクトリア・ピークにレジャー・クラブを建設する国際コンペティションでした。審査委員の一人だった磯崎新が500以上もある応募案の中から、当時無名のザハを評価し、最終的に1等に選出されました。鋭角的で破片が飛び散ったような斬新なドローイングは当時の建築界に衝撃を与えました。事業者の倒産により計画が中止されたことによって、ザハ案は伝説となったのです。
このプロジェクトによって、ザハは世界的な注目を集めることになりました。
彼女が有名になったのは磯崎新の功績によるところが大きいです。
建築家:磯崎新については別記事でいつか書きたいなと思っています。
札幌のムーンスーン・レストラン 1990
出典:東京オペラシティ
実はザハは日本に縁のある建築家です。
事務所を設立してからというもの世界中でザハのプロジェクトが頓挫していきます。技術的にも、金銭的にも難しいプロジェクトだったためです。
当時の建築界では、デザイン思想先行型で建築として成立していない提案をする建築家はザハ以外にも存在していました。当然、技術的・金銭的に実現性が低いため、建ちません。
しかし、そんなプロジェクトを実現させようとする国があったのです。
バブル期の日本です。金額的に割に合わず、技術的にも実現不可能に近いプロジェクトであっても巨額の資金を背景に実現させようとするデベロッパーがいた時代です。
ザハもその恩恵を受けることになります。
事務所を設立してから10年経った1990年、やっと一つのプロジェクトが札幌で完成しました。建築ではなく、内装のデザインですが3次元的に複雑なデザインです。この時から3次元でデザインするスタイル・思想が見られます。
この年、大阪で開催された「花の万博」でも、他の建築家とともにフォリーを手掛け、日本で活躍していました。
残念ながらこのレストランは今は存在しないので、日本でザハのプロジェクトを見ることは叶いません。
ヴィトラ社・消防ステーション 1993
ドイツのヴェイル・アム・ラインにある小規模なプロジェクトですが、このプロジェクトをきっかけにザハは実際に竣工するプロジェクトに恵まれていきます。
ちょうど世界中でコンピューターによる3次元的なプロジェクトが実現されてきた時代、ザハの思想を実現するツールが身近になってきたとも言える時代です。同時期にフランク・ゲーリーがビルバオで美術館を実現しているので、まさに当時の最先端を行っていた訳です。
IBA集合住宅/ドイツ・ベルリン 1993
ザハの実作2作目です。
通りに沿った低層部と外壁が傾斜する高層部に分かれています。
実は中庭があって、また違った表情を見せています。
他の建築に比べて力強い造形はまだ見られませんね。
サーペンタイン・ギャラリー・パビリオン/イギリス・ロンドン 2000
IBA集合住宅から7年。
ロンドン、ハイドパークのサーペンタインギャラリー30周年記念行事のためのパビリオンです。毎年夏季限定のパビリオンになりますので、既に存在はしていません。
建築ではありませんが、ザハにとっては存在をアピールする機会にもなりました。
ストラスブール路面電車ターミナルと駐車場/フランス・ストラスブール 2001
1998年からのプロジェクトです。フランス・ストラスブールの町の路面電車(トラム)ターミナルと駐車場のデザイン。
ストラスブールは都心部への自動車乗入を規制した都市計画を実施しています。そのため、駐車場とセットでトラムの駅が配置されます。
磁場を意識したデザインが取り入れられており、ザハらしさのあるデザインが見られます。この頃から「自然と人工の境界」について模索しています。
ベルクイーゼルシャンツェ/オーストリア・インスブルック 2003
スキージャンプ場の設計です。
インスブルックは1976年にオリンピックが開かれましたが、そこから約25年。当時の設備の改修の時期であり、そのうちの1つのプロジェクトをザハのチームが国際コンペで勝ち取りました。街の繁華街からも良く見える位置になるため、ランドマークとしても重要な役割を果たすプロジェクトでした。
ロイス&リチャードローゼンタール現代美術センター/アメリカ・オハイオ・シンシナティ 2003
一時的な美術作品展示のための美術館です。永久的に美術品の保存が目的ではなく、インスタレーションやパフォーマンスの場であったり、教育やオフィス、カフェ、公共スペースなどが合わさった複合的なプログラムの建築物です。
その立地と役割から、これを「アーバン・カーペット」と称し、人工的な新しい公園の在り方を提案しています。
ファエノ科学センター/ドイツ・ヴォルフスブルク 2005
好奇心を目覚めさせることのできる「魔法の箱」として、「建築的な冒険の遊び場」をコンセプトに設計されています。ヴォルフスブルクの中心部にあり、重要な意味を持った施設になっています。
2000年にスタートしたこのプロジェクトは、造形的にも複雑で、この構造を実現させるために費やしたエネルギーと時間は相当なものでした。このダイナミックで流動的な空間実現の経験により、これから先のプロジェクトでも複雑で斬新な造形のプロジェクトを成功させていくことになります。
次の記事:ザハ・ハディッドとはどんな建築家?プリツカー賞を受賞したアンビルドの女王 2/2は鋭意執筆中です。
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