解体前の北海道百年記念塔/設計:井口健(久米建築事務所 現:久米設計)を訪れて

北海道/Hokkaido


どうしても解体前に見たかった北海道百年記念塔へ行ってきました。北海道に行った理由の一つです。

日本における塔状の建築物ではこれより美しい造形のものは無いと思います。

見ておかないと後悔する。そう直観的に思って、時間を作り、無理やりにでも見に行くことにしました。

 

建築場所と概要

この塔は北海道開道百年を記念して建てられ、100年目の1968年(昭和43年)に着工し、1970年(昭和45年)9月に竣工しています。その約半年後の1971年(昭和46年)4月より一般公開となりました。

設計者は北海道今金町出身の井口健(久米建築事務所(現・久米設計))です。全国から公募された299点の中で井口氏の提案が採用されました。

道庁のHPには概要が記載されています。

北海道の開拓につくした先人の苦労への感謝と、未来を創造する道民の決意を示すためにつくられ、1970年(昭和45年)9月に完成しました。
 塔の形は、平面的には雪の結晶の原型である「六角形」を、立体的には未来への発展を象する「相対する二次曲線」をあらわしています。高さは北海道百年にちなんで100mあり、8階(高さ23.5m)に展望室が設置されています。

札幌駅から公共交通や車で40分ほどの郊外にある野幌森林公園内に位置しています。周辺に高い建物が無いことから、非常に目立つシンボリックな存在となっています。

地図上で真上から見ても六角形が良くわかります。実際に行ったときには六角形を感じませんでした。立体的な美しさから来る塔の形態の印象が強く、幾何学的な平面要素を認識しにくいのだと思います。

 

偶然にも行った日が台風の直後で、当日も嵐の日だったことから公園内の樹木が倒れていました。

大木もこの有様。

凄い光景でした。

塔へのアプローチは水景が中心となり、少し芯をずらしたところが道となっていました。

この佇まい、美しいです。解体されてしまうのが惜しいです。

解体の理由は老朽化と維持コスト

解体については、2018年9月4日の北海道新聞に記事があります。

道は4日、北海道100年にちなみ高さ100メートルで建立された道立野幌森林公園(札幌市厚別区)内にある北海道百年記念塔を解体する方針を固めた。跡地には新たなモニュメントを置く考え。記念塔は老朽化でさびた金属片が落下するなど安全面に問題があり、今後の維持費が30億円弱と試算されていた。

道は年内に、公園内にある記念塔と北海道開拓の村、北海道博物館の再生構想をまとめる方針。近く公表する構想の素案で記念塔について「安全確保や将来世代の負担軽減の観点から、解体もやむを得ない」「維持コストにも配慮したモニュメントを配置」と明記する。

引用元:百年記念塔解体へ 道方針、跡地にモニュメント/2018年9月4日17:00 北海道新聞

とのこと。現地に行った際は近寄るのも禁止されていました。2014年から周辺は立入禁止になっているとのことで、4年ほど今後について検討していたことになります。維持コストの軽減や安全確保、確かに大事です。そうは言っても何かしら出来ることはないだろうか・・・と、見入ってしまうほどの造形美、存在感でした。

新しいモニュメントを配置するとのことですが、これを超える美しいモニュメントを期待するのは難しいと思います。

着工から50年の節目の2018年に解体が決定しましたが、これを早いと見るか、遅いと見るか。

東京タワーは1958年に竣工してから、この60年間で計9回再塗装の維持管理がされています。タワーの用途を考慮すると公共インフラの東京タワーに費用が注ぎ込まれるのは誰も異論は無いと思います。

用途を考慮すると百年記念塔は維持コストを注ぎ込む同意が得られ難いのは当然だと思います。ただし、建造経緯を鑑みると、「解体」というのは何とも残念な結果に思えてなりません。

コンペによる設計者の選定

佐藤武夫審査委員長を筆頭に高山英華氏、大野和男氏、谷口吉郎氏、田上義也氏など審査員も錚々たるメンツである中、黒川紀章氏らの優秀作品を抑えて最優秀賞を井口健氏が取ったことから、建築界で相当話題になったコンペだったことが想像できます。ちなみに井口氏は29歳、黒川氏は33歳。

【審査員の詳細】

★審査委員長
佐藤武夫 佐藤武夫設計事務所所長・・建築家 当時68歳

★審査員
高山英華 東京大学教授・・・・・・・建築家 57歳
大野和男 北海道大学教授・・・・・・建築家 58歳
谷口吉郎 東京工業大学教授・・・・建築家 63歳
田上義也 田上建築制作事務所所長・・建築家 68歳
横山尊雄 北海道大学教授・・・・・・建築家 61歳
阿部謙夫 北海道放送社長・・・・・・学識者
島本融  北海道銀行会長・・・・・・学識者
関文子  北海道教育委員・・・・・・学識者
前田義徳 日本放送協会会長・・・・・学識者

特に佐藤武夫氏は近接する北海道開拓記念館の設計、高山英華氏は野幌森林公園の全体計画に携わっていることから本計画を熟知しており、審査員としては正に適任であったわけです。更に北海道開拓記念館は既に設計が完了していたため、矩形のプロポーションやレンガ仕上げの外観との調和が暗に必須条件だったことが伺えます。

手前が北海道開拓記念館(現:北海道博物館)で、奥に見えるのが百年記念塔。百年記念塔は北海道開拓記念館の真北に計画されました。

色合い、プロポーション共に調和が取れています。

 

ちなみに黒川案は

低層部から急激に立ち上がるような井口案と同じような曲線形状を持つ案を提出していたようです。

 

設計者:久米建築事務所(久米設計)井口健氏のコメント

新建築の1971年6月号に井口氏のコメントが載っていますので引用します。

北海道百年記念塔は明治2年『蝦夷地』を『北海道』と改め、開拓使が置かれて以来昭和43年で、開港100年を迎え、記念式典が催されたが、その記念事業の一環として記念塔の建設が企画され、公開設計競技により設計者およびデザインが決められた。
設計に当たりデザイン上意図したことは、北海道開拓に尽された先人の労苦に感謝の意を表明し、さらに未来の輝かしい郷土を建設しようとする遊民の決意をいかに造形的に表現するかという点にあると考えた。
デザインするに当たって求めたイメージは北国、北海道の厳しい自然にうち克つたくましい生命力を造形的に追求、特に未来性といった意識を強く打出したいと考え、重厚にして動的なデザインを追求した。

北国の顕著な季節の変化特に冬期の雪景色に代表される中で、その雪の中に立つ塔のイメージを強く求め、主たる素材として耐酸性高張力鋼板を裸使用とした。塔の未来性と生命力といった点が、耐酸性鋼の素材としての性格の中に見出されるという大きな魅力があった。また記念建造物としての永続性、夏は緑の空の中に、冬は雪の純白との対比・・・といった色調、コントラストも大きな魅力である。
外装の耐酸性鋼板に対しルーパーはメタリックでシャープな感じを追求、耐酸性鋼の初期錆流出の付着を極力さけるよう考慮し、ポンデ鋼板に、フッ素系焼付樹脂塗料を採用した。
実施設計において構造は柔構造として設計、外板を取付けることによって塔体の剛性を高めないようにディテールを研究、パネルジョイントはすべて、フリージョイントとなっている。外装パネルの取付けは、溶接にボルト併用で、ボルト接合部はルーズホールとし、緩衝材としてフッ素系のフィルム状樹脂板を用いた。特に留意した点は、耐酸性鋼板の裸使用のためその持っている問題点を極力さけたいためのディテールの追求にあった。初期錆流出によるルーバーおよび池の水の汚染防止として、単独の排水溝を周辺に設けた。さらに塔壁面には多くのパネルジョイント、エキスパンションおよび凹凸部を付するが、陸になる面のパネルをすべて、逆勾配の状態とし、プール状になる箇所には排水溝を設け、塔内部に集水し、竪樋を設けた。
外部水平梁の下面など日照のまったくない面は耐候性鋼の性質上、安定した酸化皮膜が得られず、錆か板状になって落下する恐れがあるので、雨水が回り込まないようなディテールとした。

錆対策を講じながら、コルテン鋼を裸で使用したいという意匠への強い拘りが感じられるコメントです。

コルテン鋼は表面に錆が緻密に形成されることにより、錆発生の原因となる水や空気が入り込む隙間を無くして、それ以上錆が進行することない鋼材で、外部の仕上げで使うことが出来る材料です。ただし、表面錆の形成のされ方がどんな環境でも大丈夫とは言い難いので、経過を良く見る必要があります。独特の風合いがあり、意匠設計者に好まれる傾向のある材料です。

50年の歳月により、原因は分かりませんがコルテン鋼の腐食が進み、外装材の剥落の危険性が出てきたということは残念でなりません。

コルテン鋼の露出仕上とするために、ディテールの工夫はしていたようですし、このようになった要因があるはずです。せめて今後の建築業界への一助となるものを研究し尽くしてから解体となるように取り計らってくれるのを願うばかりです。

(新日鉄住金HPより)

経年変化の様子です。コルテン鋼は色の変化も綺麗ですね。

配置図です。2つの三角形がずれて交わるような平面プランです。

1階平面図。機能的には展望台しかないので、左右とも縦動線です。

上階のプランです。

外観・ディテール

構造は鉄骨トラスによる25層の構造です。立面形状は2次曲線を描いているため、低層部では広がりが大きくなっています。

先端部は排水溝を設けています。

水掛かりになる低層部が白くなっていました。塗装ではなさそうでしたので、何かの結晶がついている感じでした。北海道なので融雪剤などの可能性もありそうな気がします。

この池の周囲も綺麗に設えてあります。アール形状の石貼りの侵入防止。

見る面によっては天に昇るような形状で、力強さを感じます。

低層の3層目からは、パネルを組み合わせて構成するようになっていますが、2層目までは1枚物に見せるデザインで、これが非常に綺麗でした。

綺麗です。

周囲は立ち入り禁止。

8層部分に展望室があります。エレベーター、階段で行き来できるようになっています。

中央の階段室は採光が取れるようにルーバー形式になっています。

床を支える鋼材は均等に配置されていますが、パネル割りを見ると高さ方向の寸法に変化が見られます。ぱっと見てすぐに気付くものだとは思いませんが、与える印象への影響は大きいと思います。

展望室部分。

外壁パネル部。

ランプがありました。航空法の民間障害標識ですかね。

水平に大きく入っている底目地は雨を垂れ流しにしないための排水機構になっています。水切りにもなるように上裏は勾配を取っていました。写真の小口部分を見るとわかります。

小さな底目地はパネルを取り付けるためのディテールで出来た目地のようです。よく見ると小さな底目地の下部は笠木の鋼材が見えます。この笠木はビス打ち。小さくてわかり難いですが、よく見るとビスが並んでいます。怪しいディテールです。これで50年経っていると考えると逆に凄いことかもしれません。

出入口部。佐藤忠良氏のレリーフが見えます。抜けのあるアプローチデザイン。回遊性があるのは良いですね。

 

 

今後の北海道百年記念塔と塔前広場

2018年12月27日、道庁はHP上で「ほっかいどう歴史・文化・自然「体感」交流空間構想(素案)」を公開しました。

その中で、北海道百年記念塔・塔前広場の今後50年後で目指す姿についても記載がありました。

<50 年後のめざす姿>
この広場は、道民のみならず、国内
外からも数多くの方々が訪れ、家族や
仲 間 と 楽 し む 交 流 空 間 と な っ て い ま
す。
広場の中心にあるモニュメントは、
はるか太古から綿々と続く北海道の歴
史と今日の北海道を築き上げた幾多の
先人の思いを引き継ぐとともに、お互いに多様性を認め合う共生の立場で、未
来志向に立った将来の北海道を象徴する役割を担っています。

周辺広場は、利用者が犬を引き連れるなど自由に散策することが可能な一方
で、友人や仲間たちとバーべーキューやボール遊びを楽しむなど、周囲の自然
豊かな森林を背景に、安全で心安らぐ憩いの場としての役割も果たしています。
<今後の方向性>
◎ 百年記念塔は、先人に対する感謝と躍進北海道のシンボルとして、また道
民の貴重な財産として長く親しまれてきましたが、老朽化に伴う利用者への
安全確保や将来世代への負担軽減等の観点から、解体もやむを得ないと判断
し、その跡地には、新たなモニュメントを設置することとします(発展的継
承)。
◎ 百年記念塔に替わる新たなモニュメントは、はるか太古から綿々と続く北
海道の歴史・文化と、今日の北海道を築き上げてきた幾多の先人の思いを引
き継ぐとともに、お互いの多様性を認め合う共生の立場で、未来志向に立っ
た将来の北海道を象徴する役割を担うものとします。
◎ 新たなモニュメントは、記念塔 にある佐藤忠良氏のレリーフや解体材の
有効活用を検討するほか、今後の維持経費にも配慮します。
◎ 周辺広場は、自由に散策できるなど広く開放された交流空間とするため、
利用規制の緩和に向けて、利用者や有識者の意見を聞くなど検討を行うとと
もに、安心して利用するため施設の安全性向上に努めます。
<具体的な取組>
○ 新たなモニュメントを中心とする賑わいのある広場の整備を推進
・百年記念塔を解体するための実施設計、解体工事の実施
・百年記念塔に関する思い出や記憶をとりまとめ、保存するための取組等の
実施
・新たなモニュメントの設置
・利用規制の緩和に向けた検討(利用者の意向確認、有識者の意見聴取等)
・施設の適正管理による安全性の向上

計画素案らしい言葉が並んでいます。

劣化状況についてもコメントがありました。

確かに酷い状況ではあります。この状態を補修するならば外板は全面取替えでしょう。外観を維持するだけで26億、内部に行けるようにすると28億の修繕費という試算のようですので、大半が外板の補修費の見積もりでしょう。26億あればそのまま再度新築できそうな気もします。

 

さいごに:百年記念塔との対峙で考えたこと

緑に囲まれた周辺環境、周囲に人が居ないことも手伝って、この塔と対峙している時に、今の立入が禁止されている状態は、『建築としてどのような状態なのだろう』と考えさせられました。

 

———人の立ち入ることの無い建築は建築なのだろうか

モニュメントと何が違うのだろうか

廃墟と建築の違いは何なのだろうか

生きている建築、死んでいる建築とはどういう状態を言うのだろうか—————

 

 

様々な理由により使われなくなって解体されていく建築はそれこそ山のようにありますが、

この特別な環境に身を置いて特別な建築と向き合ったからこそ、考える時間を与えられたのだ、

と思うことにして、別れを惜しむように空港へ向かいました。

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